今日、車の中で
かかっていた
Chicagoの曲:
“We Can Stop the Hurtin'”
”僕達は傷つけるのをやめられる”
という曲です。
元々
Chicagoというバンドは
とても政治色の強いバンドで、
この曲も
街で凍えながら眠るホームレス、
犯罪に走る若者達、
思うような仕事につけない人達のことを憂い、
そんな社会を
自分達で変えていきたい、
解決策を見つけられたら
人は傷つけることをやめられる
という内容の歌です。
1989年に初めて行った
Chicagoのコンサートで、
この曲のリードボーカルのロバート・ラムが
「ジョージ・ブッシュの政治に
捧げる歌だよ」
と言ってましたわ(言った後、たぶん、 )。
この曲を聴きながら、
誰かを傷つけるということについて
考えていました。
ぐるっと見回してみたら、
家庭の中で
社会の中で
世界の国同士で、
ひずみが起きて
不公平が起こって
争いが起こって
傷つけ合う。
そんなことの繰り返し・・・・・
そして、
自分もその中の一人。
私は
正直に言って、
どうやったら
世の中の不公平をなくせるのか、
どうやったら
戦争をなくせるのか、
どうやったら
この地球の自然破壊を止められるのか、
どうやったら
いろんな形で互いを傷つけ合うことをやめられるのか、
わかりません。
でも
思うのは、
争いや傷つけ合いにつながる
どんなひずみも
元は
一人の人間の
心の痛みやエゴから
生まれてきているんじゃないかということ。
個人の心の痛みやエゴを
無理矢理に解消しようとすると、
それが社会の痛みやエゴになり、
それが国の痛みやエゴになり、
国同士
異なる宗教同士
多数の人間同士の
傷つけ合いになる。
そんな気がするのです・・・・・・
そんな単純なことじゃないでしょって
言われるかもしれないのは
わかってますが、
私達の一人一人が
自分の持つ心の痛みやエゴに
気づき、
真正面から向き合い、
解消していくこと。
自分自身を責め、傷つけるのを
やめていくこと。
それが、
ゆくゆくは
人間同士
国同士で
傷つけ合うことを止め、
この地球を守ることになるかもしれない、と
ナイーブにも
思ってみたりもするのです。
個人の意識が変わっていけば、
集団の意識が変わっていくからね。
だから、
この国のこと
この世界のことを憂うならば、
まずは
自分の意識に向き合ってみようと
思うわけです。
自分が
何を望んで拒まれ、
何に傷つき、
何を痛みに思ってきたのか。
その痛みを踏まえて
この人生を
どう生きていきたいのか。
どう変えていきたいのか。
私は
今日も
Chicagoを聴きながら、
自分の意識に
向き合ってみようと思います・・・・・