先月の
『マイ・カウンセリング8回目:わたしは、やめる』
で登場した、
私の直近の過去世?である、スパイだった女の子。
カウンセリングに行くまで、
私の中の彼女のイメージは
薄暗いところで膝を抱えてうつむき
ずっとずっとじっとしている姿でした。
まるで、
罪深い自分は
この薄暗い場所から出られない、出ちゃいけない、
と思っているような姿でした。
カウンセリングに行って
彼女の心の傷を癒すワークをやり、
「(大人から強制されたスパイの仕事を)もう、やめる」
と、彼女が言ってから、
しばらくの間は彼女のイメージが
自分の心の変化に戸惑うように膝を抱えたまま顔を上げて
茫然と宙を見つめているような感じだったんですが・・・・・
最近、また変わってきました。
15、6歳だと思われる彼女が
スカートをひるがえして
クルクルと回って楽しそうに踊っています。
小さな子供のように
飛んでいる虫を追いかけています。
市場に行って
甘いものを買ったり
飽きることなく
きれいな布や装飾品を眺めていたりしています。
心の浮かんでくる、子供のような彼女の様子を感じながら
思いました。
本当は
コドモでいたかったんだね・・・・・と。
本来は
家庭で守られ
社会で守られ
安心して育って行くはずの子供達。
でも、実際には
家庭内の不和や
住んでいる土地や国の不和のために、
基本的な安心感が奪われた子供時代を過ごすことが多い。
子供達は
家庭内の大人達の不和を敏感に感じ取って
不安になり、悲しくなり、
それぞれの大人の顔色をうかがうようになって
なんらかの役割を自分に課すようにもなる。
その時点で
子供達は
家庭でコドモでいられなくなるのです。
住んでいる地域で紛争が起きたり
自分の国と外国が戦争をしたり。
子供達は
戦いに行く男達と留守を守る女達を目の当たりにし、
困窮していく生活の苦しさと先の見えない不安を感じる。
その時点で
子供達は
社会の中でコドモでいられなくなるのです。
スパイだった少女のイメージを感じていて、
ああ、
この子は
コドモでいたかったんだな、
コドモでいたかったのに
社会のいろんなことに巻き込まれて
安心して生きる子供時代を失ったんだな、と
思うと、
この人生で子供の頃、
家庭内の不和に過敏になり
常に人の顔色をうかがうようになって、
家庭でも外でも
どこかビクビクして生きていた自分、
なんとか不和をよくしたいと思って
役割を果たそうとしながら無力感を持っていた自分、
子供らしい安心感がなかった自分・・・・・・
そんな自分が
わかってきました。
誰を責めたいわけでもない。
どの過去世でも、この人生でも、
生きる時代、生きる国や家庭、関わる人々を
自分自身で選んで生まれてきたわけだから。
そして
そんな子供時代を送る子供達は
世界中に数え切れないほどいるはずで、
私だけがつらい思いをしたわけでは決してない。
ただ、
昔も今も
もっと、コドモでいたかった自分がいたのだと
ここに来て
強く感じるのです。
その感覚を否定することは
自分が人として持っていた自然な感情を否定すること。
だから、
絶対に否定したくないのです。
その感覚を、自分で受け入れてやりたいのです。
どんなにバカげているように思える感情も
どんなに醜く思える感情も、
自分自身の素直な感情。
自分の中のひとつひとつの感情を
自分で認め、受け入れること。
それが
自分を癒す第一歩なのです。
そういえば、ずっと前、
カウンセリングの先生から
「藤田さんは
コドモらしい子供時代を送ってない部分がありますね」
って言われたのを思い出しました。
そうなのかもねぇ・・・・・・
コドモでいられなかった子供時代。
もっと、コドモでいたかった子供の自分。
その自分を癒し、
この人生をもっと楽しく生きられるようになるために
自分でできること・・・・・
後日書いていこうと思ってます