ああ、
今日で10月も7日目なんですね。
いつのまにか、時間が経っていた・・・・・・

1週間前に
期末で仕事がしばらく忙しかったダンナが
体調をちょっと崩し、

翌日には息子も
中間テスト前だけど
「頭が痛い」と言って起きられなくなり、

2日続けて、
ホメオパシーのレメディーをあげて
さらにクラニオのお手当てとなりました。

レメディーをあげても、
体に手を当てていても、

どうしても頭の中によぎるのは、

「これでよくなってね」

「なんとかして(私が)治してやりたい」

という思い。

そりゃまあ、
ダンナや息子が
胃が痛かったり、頭が痛かったりして
ぐんにゃりしていれば、
自分がなんとかしてやりたいと思うのが
女房心(そんな言葉あるんか?)・親心であります。

でも、
そんな思いを抱いたまま
レメディーを選んで飲ませたり
手を当てたりしていると、
なんというか
自分の手によけいな力が入るのがわかります。

よくなれ・・・
よくなって・・・・・
私が治してあげたい・・・・・・・

なんて言葉が
呪文のごとく頭の中をぐるぐると数周してから、
ハッとしました。

いつか、クラニオのみっちゃん先生が、

「相手を治そうと思わないことですよ」

と、おっしゃってたのを思い出した・・・・・・・

先生の言葉を思い出して、
改めて、お手当てしている相手の息子の顔を見ました。

そうだな、
「治したい、治そう」じゃなくて、

今、ここにいる息子をそのまま見てみようか・・・・・と。

普段は
ちょっと触れるのもなかなかに難しくなった息子が
今、自分の手の中にいる。

足のお手当てをしていて気づく
息子の成長(=足がごっつうデカくなりました)。

足やお腹や胸のお手当てをしてる間は
なんだか居心地が悪そうだったのが、
耳のお手当てを始めると
すうっと寝入っていって。
(実はこれ、ダンナの時も同じでした。
立っていた神経が、とても穏やかになるようです。)

耳のお手当てをしながら
寝息を立てて眠っている息子の顔を見下ろしていて、

ただ息子に触れて
ただ息子の息遣いに耳を傾けていよう、と。

「治してやろう」と思わず、
息子と自分がここにいる
それだけを感じてみよう、と。

耳から手を離して
なんとなく息子の頭を両手で包み込むと、
眠りが深くなったのがわかり、

だからといって
その眠りのために続けるわけでもなく、
ただただ、両手の中の息子の髪と頭の形をじんわり感じて、

そのままでいると、

私も
とっても眠くなりました・・・・・・・・

(→ 母子そろって、爆睡

その後も昏々と眠り続けた息子、
起きた時には頭痛が治まっていました。

急病や急なトラブルの時に
ホメオパシーのレメディーを使ったり
クラニオのお手当てをしたりする時、
どうしても
「早く治って!
なんとかしたげるから! 早く治って!」

という気持ちが先走るけれど、

そういう時こそ
自分自身が落ち着いて
相手の状態を客観的に見
ことが
必要になってくると思うし、

相手の今の状態をそのまま見る
そのまま受け入れる
自分にできることをして
後は相手の体や心の流れにゆ
だねる
ということが
大切なのかもしれないなあ、と感じるのです。

レメディーをあげるということも
ある意味、エネルギーを渡すこと。

お手当ても
自分のエネルギーが伝わるということ。

ホメオパシーであろうと、クラニオであろうと、
他のどんな療法であろうと、

相手を治そう、変えようとして、
躍起になって浮足立つのではなく、

今、自分がここにいることをしっかりと感じること

その上で、相手の状態をそのままで見ること、感じること

そんなことが
まずは最初の一歩なのかなあと思ったりするのです・・・
私はまだまだだけれど・・・・・・。

ダンナと息子に続いて、
私もちょっと体調を崩しましたが、

自分の体や心をそのまま感じてみるか、
その声を聴いてみようか、と思いながら
過ごした数日間。

最近、枕もとでちょこりんとしていた
くまのぬいぐるみのボビーが
癒しになってくれました。


(寝室に入ってきたダンナが、びっくらこいてた)

ボビちゃんを頭に載っけると、
頭でグルグル考えなくなるんだな・・・・・
なぜか、頭の音楽再生ボタンがONになって
いきものがかりやシカゴがエンドレス再生になるんだけど・・・・・レコード

なんとなく
ふうっと原点に戻ったような、
いや、原点があったことに改めて気づいたような、
この1週間でした。

これからに生かしていけるといいな・・・・・と、
しみじみと思ってます。

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