あああ、
一体、何日ブログ書いてないんやらって感じですが、
このゴールデンウイークは
時々の外出をはさみつつ、
断捨離+片付け+家具の移動を
せっせせっせとやっておりましたゆえ、
余力がゼロ でした。
はい。
断捨離のそもそもの理由は、
うちの娘&息子が二人そろって
受験生になったこと。
今まで5畳弱の子供部屋に
二人詰め込んできましたが、
そろそろ限界が来ましてん・・・
並べた机に二人そろってると、
険悪な空気が子供部屋から流れてきますねん・・・・・
子供達も耐えられなきゃ、
親も耐えられなくなり、
ダンナの書斎という名の家族の物置部屋を
娘の個室にすべく、
家族全員が立ち上がったわけです!!!
(約一名、しぶしぶ立ち上がった人もいる(=ダンナ))
今回、断捨離の対象になった物のうち、
大半が
親である私とダンナの数十年の積み重ねの物。
お互いに、
物を集めたい
物を捨てたくない
という性分なので、
書斎はどえらい状態でした。
いったいどこから手をつけていいのかわからんくらい。
同時に
子供部屋の断捨離を決行した子供達の方が
ケロッと物離れがよいのです。
母親の私が
「え? 捨てんの、それ??
取っといたら、いい思い出にならない???」
と口を出したくなるような物まで
ポンポンと捨ててくれました。
子供達は
後ろを見てないんですね。
常に前しか見ていない。
今いらないもの、もういらなくなったものは
躊躇なく捨てられる。
他方、
私とダンナは
後ろ向き。
思い出という名のもと、
あれもこれも取っておきたい。
そして、
自分の過去を振り返るために
いろんなものをキープしておきたい。
自分のアイデンティティの確認を物に託しているんだと、
今回初めて気づきましたわ。
とはいえ、
そもそも持ち物は自分を定義しないわけだし、
だいたい
もう私の人生も折り返し地点を過ぎてしもうてるわけだし、
長く取っておいたもの、
自分は手放さないだろうと思っていたもの:
服、本、雑誌、新聞や雑誌の切り抜き、雑貨、おもちゃ、
レゴブロックの空き箱・・・・・・・・・・・などなど、
(これから、家具も加わる予定)
かなり処分しました。
(そして、「やっと捨てる気になったんだ」と子供達からホメられる。
なんか違う。ふつう、逆やろ。)
いろんなものを処分して
家具の配置も変えてみて、
今まで
どれだけ自分が、
この部屋はこれ以上変えられない
この部屋はもうどうしようもない
これだけの物を処分することなんてできない
もったいないから処分しちゃいけない
・・・・・と、頑なに思い込んでいたかが
わかった気がしました。
長年、「なんとかしなきゃね」って言いながら、
心の中では
変えたくなったし
変えられるとも思ってなかった。
今回、必要に迫られて
おしりに火がついて、
ほぼ泣く泣く始めた断捨離だけど、
自分って、こんなふうに
頑なに思い込んできたんだなあ・・・・・
と、驚くこと、しきりでした。
そして、
いったん断捨離始めたら、
物に対しても
自分の思い出やらなんやらに対しても
部屋の在り方に対しても、
「捨ててもいいかも、もう手放せるかも、変えられるかも」
ってなぐあいに
意識が変わってくるというか
考え方が柔軟になってきているのを感じて、
やっぱり、少々驚いたのでした。
(で、さらにガツガツ断捨離したがって、ダンナに嫌がられる)
が、
実は
まだまだ、終わっておりませんの。
書斎を部分的に断捨離して家具を移動して
娘の机を運び込んだものの、
ダンナの物がまだまだ大量に残っておりまして、
ダンナの物をさらに断捨離&整理して、
娘のベッドを入れるのが一応のゴールなのですが、
そもそも、1ヶ所を変えようとしたら
他の部屋も変えていかなきゃいけない、
つまり、うち全体が巻き込まれるわけで、
「まさか、
このままの状態で済まされるんじゃねーだろーな 」
という不安が目に宿る娘を横目に、
親二人、書斎と他の部屋、同時進行で
チビチビと断捨離を続けております・・・・・・
ちなみに、
うちの中で今のところ唯一人、
まともな部屋を手に入れているのは、息子。
娘が子供部屋を出て行ったところに
リビングにあった電子ドラムを運び込んだところ、
何年も叩かなかったそのドラムを
また叩き始めました。
(実は長いこと、もうドラムも処分したろかと思っていた)
受験生やろって思いつつも、
断捨離の延長で
息子がドラムへの興味を取り戻したなら、
うちの断捨離の流れ、ナイス ですわ。
5月中には
書斎を娘の部屋に変身させることを
ここで宣言しておきまっす。
やりますとも!!