とっても会いたいんだけど

会えない人がいます。

中学生の頃
英会話学校に通い始めて、
担当してくれたのが
校長だった
ニュージーランド人のPさん外人

日本語もペラペラ、
お茶目な性格で、
毎回レッスンに通うのが
とっても楽しみで。

教え方も
とても上手で、
英語の発音もイントネーションも
Pさんにがっつり仕込まれました。

「サオリちゃんは才能あるよ。
がんばって
と言って
いっぱい後押しをしてくれて、
かわいがってくれて。
Pさんに喜んでほしくて
頑張ったなあ・・・・・。

私の人生の中で
大きな影響を与えてくれた
恩人であるPさん。

大好きな先生でした。

でも、
高校生になった頃から
ちょっとグレた私は、
Pさんにも
ちょっと生意気な口をきくようになり・・・・・

「どうして
そんな言い方するのかな?」
って
困惑気味の顔で言われたことも。

そのまま
あまり話さなくなってしまいました。

その後
アメリカの高校への留学を経て、
私は
東京の大学に進学しました。

帰国子女がとても多い学部。
生まれてからずっとニューヨークで育ったとか、
アメリカン・スクール
インターナショナル・スクール出身とかの
学生がいっぱいいっぱいいるところでした。
周りを飛び交うのは
自分が逆立ちしたって話せない
ネイティブ並みの流暢な英語。

田舎の高校で
英語ができると天狗になっていた私、
天狗の鼻 が一瞬にして消滅しました。

そして、
英語にさんざん苦労した
4年間が終わる頃には、

「私の英語、ダメだわ。
・・・・・とてもじゃないけど、
もう、Pさんには
合わせる顔がないわ。」

って思うようになっていたのです。

その後もずっと、

「また、Pさんに会いたいな。
話がしたいな。」

って
何度も思いつつも、

「期待してくれてたのに、
この程度の英語しか
話せない私を見たら、
ガッカリするだろうな。」

って思ったら、

会いに行く勇気が出なかった。

会いたいという気持ちより、
こんな自分を見せたくないという
自分の見栄を優先した
のです。

きっと
そのうち、
いつかそのうち
会えるだろうから・・・・・と
勝手に思っていた
数年前のある日、

親から
Pさんが亡くなったことを知らされました。
まだ、60歳。

いつかそのうち、が
永遠に叶わなくなったことを
知りました。

会いに行けばよかった。

私のどんな下手な英語でも
話をすればよかった。

Pさんが
その英語をバカにするわけないのを
わかっていたのに。

本当に会いたいんだったら、

自分の
見栄やエゴやプライドなんか
全部ドブに捨てて、

会いに行けばよかった。

もう
永遠に会えないPさんのことを
思う時、

「会いたい人には
会いに行こう」

って
いつも思うのです。

バカにされるかもしれないな、とか
迷惑かもしれないな、とか
頭の中をいろいろグルグルするけれど、

会いたいなら
会いに行こう。

行って
ダメなら仕方ない。

会いに行かずに
後悔するのは、
これっきりにしよう
、と・・・・・・

でも、
もう永遠に
Pさんに会えないと思うのは
あまりにもつらいので、

いつか
天国で会えるかな?って。

ずっとずっと前の
クリスマス・パーティーで
ビール飲み過ぎて
酔っぱらって、
ほっぺたにチュ~ッてしてきた
お茶目なPさんに
天国でまた会えるようにって

願ってます。

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