娘の
公立高校入試本番まで
あとほんの少し・・・・・
うそ~ん Σ(=°ω°=;ノ)ノ
私が自分で受けた方が
気が楽だわい(*_*) なんて
思っちゃったりしちゃったりしますが、
去年の今頃、
ホメオパシーの学校の
卒業試験の勉強でテンパりまくり、
5月のホメオパスの認定試験の直前には
極度の緊張で
空咳が止まらなくなるなんちゅう
チキンぶりを披露してしもうたし、
昨日は
娘の気分転換の買い物につきあったら、
財布を忘れたサザエさんになってしもうたし、
やっぱ
中学生の娘に
あと少しがんばってもらおう。
へへへ。
親が
子供と自分をごっちゃにして、
子供の出来不出来を
自分の出来不出来のように思って
子供にハッパかけることってありますけど
(ハイ、今の私です )、
子供は
その年齢なりに
いろ~~んなこと考えて
がんばってるし。
一応、年齢と経験重ねた親から見れば
足りないところだらけでも、
その年齢だから持っているもの
その年齢だから光っているもの
あるのかなと思います。
親は
子供の行く末を案ずるあまり、
時には自分のようになってほしくないと思うあまり、
その子自身が見えなくなっちゃうこともあるのかも。
子供を見る親の目、
澄んだものでなきゃね。
そのためには
親が自分自身を
澄んだ目で見なきゃいけないんですけどね。
そして、
何があっても
人生の勉強。
何があっても
それがただ単純に人生の成功や失敗ってわけじゃなく
また新しいことの『はじまり』。
もしかしたら
人間って、
生きている中で
その一瞬一瞬が
『はじまり』 かもしれないなと
思ったりもします。
どんなに
つらくても
うれしくても
悲しくても
楽しくても
その一瞬が
次のチャプターへの『はじまり』。
止まることってないんじゃないかって。
私が
ホメオパスの資格を取得したのも
ゴールしたのではなく
『はじまり』だったわけだし、
娘が
どこであれ高校に入るのも
また『はじまり』。
笑っても泣いても
その一瞬から
また未来を作っていくんだもんね。
今、この一瞬が
自分の
次のすべての『はじまり』。
うまく言えないけど、
生きてるっていいね。