先日、
「聴くを磨く」講座のフォローアップ会に出た時のこと。
『妄想』のお話になったんですね。
それ以来、
自分の『妄想』について考えたりしてたんですね・・・・・
『妄想』っていうと、
ちょっと危ない匂いもしますけど
(精神疾患とか薬物とかの影響下なんかでも起きる?みたいな)、
けっこう身近な『妄想』って、
いわゆる【心配】なんか
そうなんじゃないかな~、と。
ワタシ、
元々がそーとーな心配性、不安症であります。
「こうなるんじゃないか・・・ 」
「ああなるんじゃないか・・・ 」
から始まり、
「こんなこと起きたらどうしよう 」
「あんなふうになったらどうしよう 」
となり、
心配が高じて、
布団から出られないとか、眠れないとか、
おなか壊すとか、泣き出すとか・・・・・
文字通り、心身の調子を崩してしまうことが
しょっちゅうでした。
★ちょっと体調が悪いと、こんな感じ★
(たぶん、私はArs.傾向も強い)
私、
本気で本気で、心配だったんです。
いろんなこと。
でも、友達なんかに相談に行けば、
「そんな八の字眉して
どんな深刻な事態かと思ったら、
たいしたこと心配してないねぇ 」
とかって言われ、
ダンナに不安をぶつけても、
「今からそれを心配してもしょーがないでしょ 」
とかって言われ、
「アタシは、こんなに心配してるのに!
この先のことを真剣に考えてるのに!!
なんでわかってくれないの!!!
誰もアタシの心の中をわかってくれないんだーーーー
アタシって不幸だ孤独だーーーーーー」
と、内心、逆ギレしてたもんでした。
今は思います。
誰もわからんで、当然だわな。
だって、私の心配、『妄想』だもの。
私、
【心配】することで、
先のことを真剣に考えているつもりでした。
こうなるかもしれない、
ああなるかもしれない、
どうしよう、どうしよう・・・・・・って。
でも、
実際に私がやってたことって、
起きるかどうかわからないことを
頭の中にグルグル思い浮かべて、妄想してるだけ。
テストできないかも・・・どうしよう・・・・・
こんなこと言ったら嫌われるかも・・・どうしよう・・・・・
娘がまた風邪引いたら・・・また肺炎になるかも・・・・・
息子が自転車乗ってったら・・・車にぶつかるかも・・・・・
どうしよう、どうしよう・・・・・・
てな具合に、
心配と恐怖で
自分をいっぱいこっぱいにしてるだけ。
私は
いろんな悪い事態を想像して
心配して不安でいることで
将来に備えているつもりだったんだろうけど、
こういうことが起きるかもしれない、と想定して、
起きた時にはこう対処しよう、
そのためにこういう準備・心構えをしておこう、
というのとは
違う。
心配と、備えは、違う。
長い間、それに気がつけなかった私は
その【心配】=私の『妄想』を
子供達やダンナに投げてきました。
こんな大変なことになるかもよ、
あなた達のことを心配してるから
言ってるのよ、
みたいな感じで。
いやいや。
それは、
ただの私の『妄想』。
子供達やダンナにとっては
ちょーーーー迷惑なシロモノでした。
【心配】の気、エネルギーって
重たいんです。
そういう気、エネルギーで自分をいっぱいにしてると
自分自身を蝕みますし、
周りの人達にそれを向ければ
相手が本当に苦しくなります。
私自身が
【心配】の気をいっぱい受けて育ってきたので、
物事の感じ方・考え方がそんなふうになっていて、
自分自身にも子供達・ダンナにも
同じような気を向けてきましたが、
自分自身が
そういう気を受けるのが本当に苦しかったことに気がついて、
【心配】するのをやめよう、と決意しました。
そして、
【心配】という名の『妄想』もやめよう、と。
どうせ、『妄想』するならね、
こないだのフォローアップ会でやったように、
「こんなことしてみたい~
あんなことしてみたい~~
うわ~~、それ叶っち
ゃったらどーするよ 」
みたいな妄想がいい。
そもそも
人間が飛行機なんかを作ったのは
「いつか空を飛んでみたい、飛べるかもしんない 」
っていう(何百年にもわたる)妄想から始まったんでないかい?
っていうお話だったし。
ああなりたい、
こんなことをしてみたい、
という『妄想』が、
私達人間の夢をはばたかせ、
可能性を開いてきたのかもしれませんよね。
私自身は、
『夢とかじゃなく、幽霊とかでもなく、
この目で、ヨーロッパの中世を見る 』
という妄想で
自分をいっぱいにしております。
どうやって実現するかわからないから
まだ『妄想』の域かもしれないけど、
この時代、これからの時代、
何がどーなって実現するかわからないでしょ?
『妄想』、二種。
自分を蝕む妄想と、
自分の夢を羽ばたかせる妄想、
あなたは
自分の人生で、
どっちを選びますか?