今年最後のカウンセリング。

8回目のカウンセリングでフォーカスされたのは、
ずっと気になっていたこと・・・・・
たぶん、100年前後以内の、私の直近の前世です。

何年か前、
横になって目をつぶってボンヤリしていた時、
ふと、お腹の上に何かあるのを感じたのです。
丸い球のようなもの。
おもちゃのボールではなく、エネルギーの塊のようなもの。

「なんだ?」っていぶかしがっていたら、
次に目をつぶった視界の中に
まるでスクリーンが広がるかのように
長方形がす~っと広がっていったのです。

そして、
自分がその中に入っていきました。

周りは土ぼこりの舞う、人でごったがえした市場のような場所。
クラシックカーのような車もあって
軍人のような格好をした人も歩いています。
人混みの中を縫うようにして
私は走っていきます。
ちょっとあせるような気分で。

私はたぶん、15、6歳。

走っていった先に見えたのは
レンガか土かで作ったような市場の入り口?の門。
装飾が施してあります。

ぼんやりと感じるのは
ここは地中海沿いのアフリカの国だということ。
そして
不穏な空気が流れていて
自分がその中に巻き込まれているということ・・・・・・・

すると
スクリーンのような長方形は
スーッと縮んで、消えました。
何も見えなくなりました。

でも、
直観で自分の前世だと思いました。
何があったかも、なんとなくわかりました・・・・・

おそらく
アフリカに利権を求めるヨーロッパの人々と
自分の国を守りたいアフリカの人々の争い。
一触即発で、戦争になりそうな不穏な雰囲気。
いや、
戦争を望む人達がいたのかもしれない。

アフリカに住むヨーロッパ人だった私は
現地の事情を知っていることと
年齢がゆえに怪しまれにくいことから、
ヨーロッパ側のスパイのようなことをさせられていたようです。

最初は自分のしていることが
どういうことにつながるかわかっていなかった。
戦争にまで発展して、たくさんの血が流れて、
初めて自分のやったことの重大さがわかったのです。

この前世を思い出すと
いつも心に浮かんでくるのは、
自分が直接的に手を下さなくても
自分の流した情報ゆえに
争いでたくさんの人間が死ぬことになったという罪悪感

半ば強制的にやらされたスパイの仕事ではあったけど、
ヨーロッパ人である自分の中に強くあった
アフリカの人々への差別意識と、
その差別意識への罪悪感

自分は卑怯者だ。

ヨーロッパ人でない人達を差別し
情報を提供することで
結果的に
自分の手を汚さずに双方のたくさんの人達を殺した。

国の混乱の中で自分が生き延びることはできたけど、
私のしたことは人として決して許されない。

神様は許してくれない。

私は、罪人だ。

カウンセリングの中でこの話をすると、
じっと聴いていた先生から言われました。

「大きなこと(=人間として、魂としての傷)、ですね。

藤田さんは
彼女は最初は自分のやっていることがわかってなかったって
言ってましたけど、
彼女はね、わかってたんですよ。

その歳で、本当にこわかったはずです。
いやだったんです。
でも、そのこわさも、スパイの仕事を強いる大人への怒りも
全て抑え込むしかなかった。
自分で見たくなかったんですよ。

その歳で彼女がしたそういう経験、
それを癒してやることが必要です。」

・・・・・と。

ワークの中で、
最初にアフリカの人々に謝りに行きました。

謝ると
何も言わずにじっとこっちを見つめる目。
こちらの人間としての弱さを全て見透かすような、澄んだ目です。

次のワークで、
10代の自分にスパイの仕事を強いた大人達:
武器商人や軍の上層部、
そしてヨーロッパの社会:政治家や宗教家に
10代の彼女に代わって、私が怒りをぶつけました。

怒りをぶつける私の隣で
ずっとずっと泣いている彼女。
こわさも怒りも抑え込んで泣くこともできなかったのだから、
これでよかったのでしょう。

そして
ずっと泣いた後、
彼女が言ったのです。

「もう、やめる。」

と。

もう、大人達から強制された、
こんな仕事はやめる、と。

現実の世界で
ある状況から出ること、
やめることはなかなかに難しいかもしれません。

でも
「やめる」と決意すること
それを言葉に出して、宣言すること

それが自分の意識を変えることになり、
さらに現実を変えていく最初の一歩になることは
間違いありません。

「やめる」と決めて宣言することで、
自分の人生のコントロールを自分の手に取り戻す
その結果、
自分のやったことは自分の責任として受け入れられるようになる
そうすると
彼女が見たくなくて抱え込んでいた罪悪感にも
真正面から向き合えるようになり
その罪悪感を手放すこともできるようになって、

今まで罪悪感にしがみつき
私は卑怯者だ、罪人だと、自分を恥じていた
私の生き方も変わってくだろうと思うのです。
きっとこれから
その変化が見えてくるのでしょう。

今年の8回のカウンセリング。

しんどいことも多かったけど、
いろいろなことがわかり
自分の意識が少しずつ変わり、

自分の足が地につき始めたのを感じるのです。

尾てい骨がおかしいのがわかって
クラニオに行って、

「とうとうここまで来ましたね。
ベースをしっかりさせる時が来ましたね。」

という先生の言葉の意味が
しみじみとわかってきたような・・・・・・・

来年も続けるであろう、カウンセリング。

自分という人間の変化。
止まることなく、流れていく、変わっていく。
すんごい楽しみです。

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