先日、娘が20歳20になりました。

めでたい、はたちです。

 

 

20年前、

帝王切開の全身麻酔から目覚めて

ベッドの上でボンヤリしていた時、

ダンナが新生児の娘を抱っこしながら、

 

「タオル(=タオル地?の赤ちゃん肌着)食ってる。

 キミに似てる。」

と言うのを、

 

(なに言うてんじゃい・・・)

と思いながら聞いたのが、

月並みながら、ついこのあいだのことのようです。

 

~生まれてすぐに肌着を食う娘~

 

 

☆検診に行ったら緊急帝王切開で娘が生まれてしまったドタバタ話は

 →こ・ち・ら笑い泣き

 

 

 

 

 

あんなに待っていた我が子。

会えるのが楽しみで楽しみでしょうがなかった、初めての子。

 

でも、

私には、子育てがつらかったのです。

 

 

 

娘を育てていて何がつらかったって、

夜泣きや後追いとかじゃなくて

(あ、いやいや、これはこれでつらかったです)、

 

娘が私に似ていること、でした。

 

 

 

 

娘が成長するにつれて見えてくる、

娘の人見知りや引っ込み思案な性格。

 

公園に連れて行っても

友達のおうちに行っても、

他の子供達に混じろうとせず

私のそばから離れない娘。

他の子供達が無邪気に楽しそうにやること、

挑戦することを何もせず、

ただ遠くから見ているだけの娘。

 

そう、

私自身にそっくりでした。

私には、そっくりに思えました。

 

 

 

 

自分自身が元々が筋金入りの人見知りの私は、

この人生、

人見知りで引っ込み思案で何もいいことがなかった、

と思ってました。

私の人生、

この性格ゆえに損ばかりしてきた・・・と。

私は、欠陥品で、失敗品だと。

誇張ではなく、

自分の性格をずっとずっと呪ってきました。

 

だから、

娘が私に似ているなんて、耐えられなかった。

娘は私と同じような人生を歩むんだと思ったら、

全身が冷たくなりそうなくらい、恐ろしかった。

私にとっては、絶望に近かった。

 

 

それゆえに、

嫌がる娘を無理矢理

子供達の輪に入れようとしたり、

娘がこわがる遊具に挑戦させようとしたり。

とにかく

自分とは違う子供、自分とは違う人間になってほしくて、

娘に厳しくつらく当たりました。

 

もちろん、

そんなの、思い通りなんかにならない。

私の言う通りにしない娘に、

娘のおじけづいた態度に、

激しくイライラして罵声を浴びせたりしていました。

本当に、

本当に、

娘につらい思いをさせてしまったと思います。

 

 

 

 

そんな中、

娘が4歳の頃にイギリスで暮らすようになり、

ホメオパスにかかるようになったことで

私が自分自身の心の中を深く深く見つめるようになって、

 

それから何年か経って、

娘が小学生の頃でしょうか、

やっと気づいたのです:

 

「娘は、私ではないんだ。

 

 私とは違う人間なんだ。

 私とは違う人生を送るんだ。」

 

と。

 

 

 

 

たとえ私に性格・気質が似ていても、

父親のDNAも入り、育つ環境も違うこの子が

私と全く同じ育ち方をして全く同じ人生を送るなんて、

・・・・・ありえない。

 

そして、

私は自分の人見知りや引っ込み思案なんかの

欠点(と思っていたもの)や

損ばかりしてきたと思っていた人生を

ただ娘に投影していただけで、

娘は何も悪くない。

娘が変わる必要もない。

 

娘のそのままを受け入れていくことが

娘の安心につながって

娘は安定して成長していける、

将来的にどんな性格・気質の人間であろうと

自分をよしと思える人間になる。

 

 

こんな、あったりまえのことに

やっと気づいたのです。

 

 

 

 

 

あれから、10数年

娘と私の間に

いろ~~んなことありましたけど、

 

人としての娘を信頼して

そのままを受け入れようと努力してきた

10数年だった気がします。

 

 

 

娘は、

地に足が着いていて

自分のことは自分で決める、

好きなことはとことんやり、

嫌いなことや嫌いな人にはエネルギーを使わない、

繊細にして大胆、

夢の実現力の高い人間に育ちました。

 

 

中学生になってからは、

友達から

「見た目は優等生、中身はヤンキーグラサン

と呼ばれ、

たとえ先生であろうと理不尽な扱いは許さず、

 

「今の成績なら、もっと上の進学校に行ける」

という塾の先生の反対を押し切って、

大好きなイギリスに行ける研修のある

自由な公立高校を選び、

 

 

高校生になったら、

選考試験を突破して

本当にイギリス研修に行ってしまい、

日々の勉強はほとんどしていなかったのに

マイペースな受験勉強で

危ういかと思われた大学受験も突破してしまい、

 

 

大学生になったら、

またもイギリス研修で飛んで行ってしまい、

サークルにバイトにライブに美味しいもの探しに

精を出し、

おしゃれ番長な格好で毎日出かけていき、

自分では人見知りだと言いながら

それまで同様、よい友達・仲間に恵まれ、

 

 

人生、楽しそうです。

親の私から見ても、キラキラしています。

 

 

 

 

 

私、

娘を尊敬しています。

 

柔軟で環境適応能力は高いけど、

自分の好きなこと、信念は曲げない。

人に媚びない。

権力が嫌いで、理不尽な扱いには屈しない。

自分の人生をどう生きていくか、

自分で決めていってる。

 

 

んでもって、

 

「ママも、本当は好きに自由にやりたいんでしょ。

 やればいーじゃん。」

と、

あろうことか私の心のうちを見透かし、

 

ものすごく腹が立つことがあって、

「グレたい! グレてやる!!」

と、私がわめいていた時に、

 

「グレろw

 子供2人ともグレたんだから、

 グレればいーじゃんw」

と、グレる許可をくれたのも、娘。

 

 

そして、

娘は私にとっての、大切な仲間。

大好きなイギリス、音楽、スイーツ、歴史から恋バナ、

日々の小さな出来事まで
(興味や好みは、やっぱり似てる、フフフウシシ)、

話し始めたら止まらない。

夜なんか、私の布団に居座ってしゃべり続けて

寝させてくれない(笑)

 

一緒にごはんを食べに行き、

一緒にライブに行き、

一緒にしゃべり倒し、

人生のひとこまを共有してくれるのも、娘。

 

 

 

 

 

娘、20歳。

よくここまで育ってくれました。

 

そもそも、

私がホメオパシーを始めたのは

娘の呼吸器の問題がひどく、本当に本当に悩んだから。

だから、

私がホメオパスになったのも

彼女のおかげと言えばおかげなんだけど、

 

んなこと、

実はけっこうどうでもよくて、

 

 

 

娘を育ててきたこと、

娘のありのままを受け入れようとしてきたことで、

私は

ありのままの自分を受け入れられるようになりました。

 

人見知りや引っ込み思案、その他もろもろ、

私が

自分の『欠点』であり

直さねば、消さねばならないと思ってきたことが、

 

『欠点』ではなく

ただのそのままの自分であること、

それと一緒に生きていってよいのだということを、

 

そして

自分の感情をそのまま大切にしていいのだということを、

娘が娘オリジナルの人生を送っているように

私も私オリジナルの人生を送っていいのだということを、

 

娘の生き様が教えてくれました。

 

 

 

 

 

20歳の誕生日の朝。

両手を広げて待っていたら、

 

「あぁ。はいはいはいはいにやり

 

みたいな感じで、かーちゃんをポンポンして、

さっさとお化粧を始めた娘。

どっちが親で、どっちが娘やねん、て感じ(笑)

 

 

 

これから娘は、

さらに私の手を離れていくことと思います。

私も、手を離していかねばと思っています。

 

でも、

手は離していっても、

 

心の手はつながっているといいな。

 

そう願った、

娘の20歳の誕生日でした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です