【1年かかって、わかったこと】
夜の暗闇の中で、誰かに言われた。
「幸せになるんだよ」と。
「幸せになるために、この星に来たんだろう?」と。
幸せって何?
1年前にはっきりしたのは、
私がこの星に来たのは
つらい思い、悲しい思いをするためだったってこと。
(→ 1年前の出来事・「私の人生、ここにあり」)
なぜそんな思いをしたかったのか、
それはどうやら、幸せになるためらしい。
では、私の幸せって何?
私は、自由になりたい。
自由が欲しい。
私の幸せは、自由になること。
自由を手に入れること。
では、その自由って何?
私は、
感覚の自由が欲しい。
自分の中に生まれてくる、
自然に湧き出してくる、
これが好きでたまらないという感覚。
あれはどうにも嫌だという感覚。
この人が好きだという感覚。
あの人は嫌いだという感覚。
たとえ人から見て価値のないものやことでも
自分の中で愛で慈しみたい、
やらずにはいられないという感覚。
逆に、やりたくないことは
とにかくやりたくないという感覚。
何かを感じる時、
それを制限されない、自由。
私の感覚や感情を、そのまま広げていく自由。
自分の感覚を信じて、飛んでいく自由。
社会的な常識や規範や
スピリチュアル的ななんやらから
ジャッジされて、
こうしなきゃああなるとか、
ああしなきゃこうなるとか、
こうしてるとああならないとか、
ああしてるとこうならないとか、
全部、全部、いらない。
何百年か何千年かの間、
いくつもの人生の中で、
自由が欲しくて、
そのままの自分で飛びたくて、
社会や人と闘って、欺いて、傷つけて、
屈辱と後悔の中で何度も倒れて、
文字通り、
つらい思い、悲しい思い、悔しい思いの繰り返し。
自分がなぜここに来たのかさえ、
忘れてしまった。
長い長い暗い道をとぼとぼと歩いてきて、
この人生で見たのは
自分の自由を自ら制限する自分。
私は、
自分自身にただ自由を許すだけで良かった。
感覚を全開にして
好きなものや人を好きと感じ、
嫌いなものや人を嫌いと感じ、
心の中で
好きな歌を歌い、
好きなように舞い、
この世界にしかない美しいものを愛で、
自分の羽で風に乗り空を飛ぶ、
その自由。
やっと、わかった。
自分にとっての、幸せが。
自分自身にしか、
自分に自由を渡せないということが。
だから、
今日、決めた。
私は、私に自由をあげよう。
ここにいて、幸せになろう。