日々の生活の中で、
自分のこと、ルーティン的な家族の世話で
いっぱいいっぱいになっている時、

 

『髪の毛の匂いを嗅ぎ合って
 くさいなあってふざけあったり
 くだらないの中に愛が
 人は笑うように生きる』

  (星野源くんの「くだらないの中に」)

 

この歌を聴くたび、

 

人はいつのまにか
近くにいる人が
そこにいることがあたりまえになり、
そこにいるのに見えなくなり、考えなくなり、
感謝しなくなり、

 

自分にとって大切なはずの人が
そこにいることが
あたりまえではないのだということを
忘れてしまうのだと、

 

つくづく思う。

 

 

おしゃれなレストランでごちそう食べたり
高価なプレゼントもらったり
海外旅行に行ったり、なんて、
そんな特別なことがなくても、

 

そばに大切な人がいて、
日々の小さなくだらないこと
日々の小さなあたりまえのこと、
それが毎日続いていくということが
どれだけ
くだらなくなくて、あたりまえでないのか、

 

私達は
簡単に忘れてしまう。

 

 

5年前にダンナが体を壊して倒れ、
しばらく先が見えなかった時、

 

普通にいつでも
そばにいると思い込んでいた相手が
いなくなるかもしれない、
うちの子供達はこれから
父親無しで育つのかもしれない、

 

その大切ささえ
わからなくなりかけていた相手が
明日にもいなくなってしまうかもしれない、
もう何もしてあげられないかもしれない、

 

その恐怖で、
息ができなくなり
自分の下の地面が
スッポリなくなったような感覚を、

 

私は一生忘れないと思う。

 

 

 

 

自分にとって大切な人がただそばにいて、
あたりまえの中に
くだらないの中に、
あたりまえのくだらない幸せがある。

いや、
あたりまえでない、
くだらなくない、幸せがある。

 

 

それだけを心に刻んで、
大切な人を
毎日、ただ大切にしたい。
歌を聴きながら、ただ、それを思う日々。

 

 

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