最近、ふと思うことがあって、

よく、
『子供をほめて育てましょう』
とかって、世間では言うし、

うちの親も、私のことを、
『ほめて育てた』
と言ってたけれど、

私には
『ほめて育てられた』
という感覚、
どちらかといえば、マイナス方向マイナス であります。
ほめられて育まれた、という感覚は、あまりない。
(とかって書くと、親は悲しむかもしれんけど、
感覚的に本当にそうなんだから、そう書くしかない)

今日、
夕ご飯の支度で小松菜なんかをブツブツと切りながら
「そもそも、親ってのは、
どういうことで子供をほめるだろう」って
思いを巡らせていて、

「絵がうまいわね」 「字が上手ね」
とか、

「100点取って、えらいわね」
とか、

「かけっこ一番だったわね」
とか、

「お友達にブランコ譲ってあげて、えらいわね」
とか、
・・・・・・・・

たしかに
自分が何かがよくできた時、何かをしてあげた時、
自分の能力を発揮した時に
ほめられるのは、
ウレシイはず。

たぶん、私の親もそうしてきたはず。

でも、
私には、ほめられて育った、という感覚は
やっぱりないのです。

なぜ? なんで?と思って、
さらに掘り下げて考えていくうちに
ブチ当たったのです。

「~が上手」
「~の才能がある」
「~してあげた」

で、ほめられるというのは、

親や、もっと言えば先生や社会から見て

「~ができる」
「人に~してあげられるよい子である」

という価値基準、比較基準からであって、

極端な言い方をすれば、
その子そのものの在り方をほめているのではないんじゃないか
ということ。

私は
絵がうまいとか、字がうまいとか、
英語が得意とか、国語が得意とか、
妹に優しい、とかって
親からほめられてきたんだろうと思います。、
それはそれでありがたいことだろうと思いますけど
(何かしても注目してもらえないよりは、マシ)、

私が素の自分を出して
親の価値基準、価値観に合わない言動をした時は、
よくなじられました。

ほんの小さなことかもしれないけれど、

座って勉強するように言われたけど
勉強キライだから遊んでいたら、
妹はえらいけど、おねえちゃんはダメね、
と皮肉られ、

お年玉を貯金するように言われて
自分で取っておきたい、と返事をしたら、
妹はちゃんと貯金するのに、アンタは、
となじられ、
(→ ブチ切れた私、そのまま、プチ家出)

英語が得意なんだから
通訳になりなさい、と言われ、
しゃべるの苦手だし翻訳家の方がいい、と言ったら、
夢が小さい、と言い捨てられ
(そもそも、通訳になりたかったのは親の方)、

心にザックリ傷ができました。

ここまで思い出して、
ハタと気づいたのです。

勉強キライ
自分のお金は自由に使いたい
自分はこっちの仕事がいい

という、『自分』を出したら
親から否定される、なじられる、という経験をしてきて、

「~ができる」
とか、
「~をしてあげた」
とかではなく、

『自分自身であること』をほめられた、受け入れられた、
という感覚が
私にはほぼゼロなのだ
、ということに。

小松菜やらエリンギやらを切っていた
包丁を持つ手が止まって、

ふうっと、腑に落ちた気がしました。
親に「~ができる」とどんなにほめられても
それが私の自己肯定につながらなかった理由が
やっとわかったのです

本当は私は、

「そうか、勉強より遊ぶ方が楽しいんだね」
「そうか、自分でお金を持っておきたいんだね」
「そうか、そっちの職業に興味があるんだね」

って、受け入れてほしかっただけ。
自分なりの考えや希望があることを
ほめてほしかっただけ。

親や先生や社会の大人達には
「こういう能力があって、こういうことができるのは素晴らしい」
とか
「人として、こういう態度、こういう姿勢であることが望ましい」
とかいう価値基準、判断基準があって、
それに沿って、子供達は評価されるわけです。

それがまったく無意味だとは言わないけれど、
その基準から外れた個性やユニークさは
ワガママや無気力なんかに分類されて
評価されない
ことが
この社会では当たり前に起こっている気がするのです。

私自身、
けっこうな自由人である息子の個性を
大人の価値基準に照らし合わせて理解できずに、
何度も彼を傷つけてきたような気がします。
それを思うと、
自分が傷ついたことよりも、今はつらい。

カンタンに
『ほめて育てよう』
って言いますけど、

親や大人としての価値基準・判断基準に合わない言動を
子供達がした時、

「そんなふうに感じてたんだね」
「なるほど、そんな考え方もあるんだね」
「そういう夢を持っているんだね」
って、言えますか。

「その感じ方、考え方、夢、ステキだね」
って、
その子の素のままをほめられますか

その子の真の姿を見つめてほめる、
その覚悟、ありますか。

私自身、その覚悟を決めようとして、
揺らいで、また決めようともがく毎日。

でも、
今日、自分自身の体験とその意味が
やっと腑に落ちて、

まずは自分自身に
「そのままでいいよ」
って、自分で言ってやれれば、

子供達に対しても
少し覚悟が進むかもしれません・・・・・

待ってろよ、子供達
かーちゃん、覚悟決めて、ほめまくるからなーーー

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