今日は
昨日行ってきた講演会の話を書こうと思っていたのですが、

夕方
ちょっとした事件が・・・・・

私はいつも
夕ご飯作りに取り掛かるのが遅く
手際が悪いので作るのにも時間がかかり、

『腹が減ってるから早く食べたい』息子を
いっつもイライラさせていました。

今日は
「塾、模試だから、早く行く」と言ってたので、
早めに夕ご飯を作っていたつもりだったんですが、
土鍋で大根ごはんを炊いてたら予想より時間がかかり、
結果的にはやっぱり出来上がるのが遅く、

ちょっと焦りながら
「ごはん出来たよ」
と、息子に声を掛けると、

「今日、早く出るって言ったじゃん
と、明らかに腹を立てた息子、

出かけると言ってた時間まで20分あったけど
怒ったまま夕ご飯に手をつけず。

超ショック・・・・・・ガックリ

思わず布団をかぶって、
私、涙がぶわーーー

今まで何度も『早く作って』て言われてたのに
うまくできなくて、また怒らせちゃった
塾に腹ペコのまんま行くつもりだ

でも
これでも私も一生懸命やってるんだけどなぁ
今日は朝から体調イマイチで
それでもなんとか作ったんだけどなぁ

とか考えてると、

息子は本当に
夕ご飯食べずに塾に出かけてしまい、

息子のリクエストや状況に沿えなかった情けなさ
私の努力も認めてくれよぉという悲しさとで

さらに涙がぶわーーーーー

涙がポロポロ出る中で、
思い出したことが。

もう何年も前、
息子が漢字の書き取りをしているのを見ていた時のこと。

いつ見ても字が雑だな、
もっと丁寧に書けばいいのに、と思って
それまでも時々注意していたのですが、

この日も
「ねえ、もうちょっと丁寧に書きなよ、
ちゃんと書けば、きれいに書けるからさぁ」
と声を掛けると、

それまでは
注意しても何も言わなかった息子が
この時は、

「ちゃんと書いてるもん」

と言うなり、
涙をポロポロとこぼしたのです・・・・・

その時、
初めて悟りました。
息子は息子なりに一生懸命書いていたのだと。
それなのに、しょっちゅう注意されて
内心とてもつらかったのだと。

親である私は、
自分の理想のレベルに達していない息子の字を見て
(娘はとても字が上手なので、
知らず知らずのうちに比べたのでしょう)、
『この子はちゃんとやってない』
と判断して口を出し、
息子を泣かせたわけです。

確かに遅くって申し訳ないけど
ママだって一生懸命夕ご飯作ってるのをわかってよ

っていう私の思いと、

下手に見えるかもしれないけど
オレだって一生懸命字を書いてるのをわかってよ

っていう息子の思い。

自分のやっていることが不十分でも、
その努力を認めてほしいという思い

大人でも子供でも、当たり前にあることなんだなぁと
改めてつくづく思うのです・・・・・・。

そして、
また思い出すことが。

高校生の頃、自分なりに一生懸命勉強して
英語のテストで92点を取った時、
自分では納得していたのに、
親に「なんで、あんたは100点じゃないの」
と言われたこと。

別の試験で、必死で勉強して
予想以上にいい点が取れて本当に嬉しかったのに、
やはり
「たいして勉強もしないのに、要領がいいから」
と言われたこと。

自分の基準に合わないだけのくせに
私の努力を見てもないくせに、と、
かつての息子のような悔し涙を流したのを思い出しました。

「認めてもらえない」

そんな私の中の傷が未だにうずき、
今日のようななんでもない普通の日の
夕ご飯ひとつをめぐって、
涙がぶわーーーっと出たのだな、と、

腹ペコで模試を受けてる息子の心配をしながら、
思うのでした。

私が息子に与えてしまった悔しさは
何か別のことで償うというのではなく、

親として私が変わっていくことで
一人の人間としての息子を理解していく、受け入れていくんだ

心に決めています。

そのために、
自分の中の悔しさ、インナーチャイルドの悲しみは
自分で見つめ、自分で解決していくんだ
とも決めています。

親が自分自身の傷を癒すことで楽になり
子供に自分の傷を投影しなくなれば、
子供は一人の人間として尊重され
自分らしく生きていけるようになっていきます。

だから、
親から変わること。
これが一番大切なのです。

とはいえ、

今日の夕方、ちょっとつらい時間でした。

息子のいない食卓で
大根ごはんがなんとなくしょっぱく思えました。

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